2026年現在、元関脇・栃煌山は、年寄名跡「清見潟」を襲名し、日本相撲協会に所属する親方として活動しています。本名は影山雄一郎。現役時代に所属していた春日野部屋に現在も籍を置き、後進の指導や相撲協会の業務に携わっています。日本相撲協会の最新プロフィールでも、清見潟親方としての所属や役職が確認できます。
現役時代の栃煌山は、最高位関脇、幕内在位77場所、生涯戦歴661勝598敗19休という実績を残しました。金星は6個、三賞は殊勲賞・敢闘賞・技能賞をそれぞれ2回受賞しています。2012年夏場所の旭天鵬との優勝決定戦や、2019年初場所で稀勢の里の最後の対戦相手となった一番も、相撲史に残る出来事です。2020年7月の引退から2026年の親方としての活動まで、その歩みを振り返ります。
【2026年最新】栃煌山は現在、清見潟親方として春日野部屋で活動

栃煌山は2020年7月に現役を引退し、年寄「清見潟」を襲名しました。2026年10月現在も日本相撲協会の年寄プロフィールに清見潟雄一郎として掲載されています。
清見潟親方(元関脇・栃煌山)
2026年10月現在の基本プロフィール
- 本名:影山雄一郎
- 生年月日:1987年3月9日
- 年齢:39歳
- 出身地:高知県安芸市
- 所属:春日野部屋
- 年寄名:清見潟
- 現役時代の最高位:関脇
- 協会での役職:委員
清見潟親方の主な役割は、力士の育成と日本相撲協会の運営業務です。
現役時代に春日野部屋で培った経験を生かし、部屋付き親方として若い力士の指導に携わっています。
また、2026年には審判委員としての活動も報じられています。
日刊スポーツの2026年7月16日の報道によると、名古屋場所では二子山親方が休場したことを受け、清見潟親方が4日目の審判を代役として担当しました。
その際、清見潟親方は周囲との協力について「助け合ってやることですから」と話しています。
現役時代は自ら土俵で勝負する立場でしたが、現在は取組を見守り、相撲界を支える立場に変わっています。
春日野部屋の師匠ではなく部屋付き親方ここで注意したいのが、清見潟親方の立場です。
清見潟親方は春日野部屋の師匠そのものではなく、部屋付き親方です。
部屋付き親方は、部屋に所属しながら力士の指導や協会の業務を担う存在です。部屋の運営責任者である師匠とは役割が異なります。
日本相撲協会の春日野部屋紹介にも、清見潟親方の名前が掲載されています。
つまり、栃煌山は引退後に相撲界を離れたのではなく、現役時代と同じ春日野部屋を拠点に、指導者として第二の相撲人生を歩んでいるのです。
【引退理由と経緯】栃煌山はなぜ2020年に現役を退いたのか
栃煌山が現役引退を発表したのは、2020年7月15日です。
引退の背景にあったのは、十両への陥落と、それまでに本人が考えていた引退の判断基準でした。
2度目の十両陥落が決断のきっかけ栃煌山は2007年3月場所に新入幕を果たし、長年にわたって幕内上位で戦ってきました。
一時は大関候補として期待され、関脇にも昇進。三役在位は通算25場所に及びます。
しかし、年齢を重ねるにつれて番付を維持することが難しくなり、2019年には幕内から十両へ陥落しました。
その後、幕内復帰を果たした時期もありましたが、再び十両陥落を経験します。
2020年3月場所では3勝12敗と大きく負け越し、2度目の十両陥落が決定しました。
2020年7月15日の引退会見で、栃煌山は次に十両へ落ちたときには引退しようと決めていたことを明かしています。
スポニチの報道では、師匠の春日野親方(元関脇・栃乃和歌)とも話し合い、熟慮した末に引退を決断したと伝えられました。
本人にとっては、突然の決断というより、以前から考えていた区切りだったことが分かります。
引退発表と清見潟襲名2020年7月15日、栃煌山はオンライン形式の引退会見に出席し、現役引退と年寄「清見潟」の襲名を発表しました。
当時33歳。
7月場所の番付では西十両2枚目でしたが、場所が始まる前に土俵を去る決断をしました。
日刊スポーツの引退会見報道では、本人は次のように振り返っています。
「前に出る、それが自分の相撲。」
この言葉には、長年にわたって栃煌山が大切にしてきた相撲への姿勢が表れています。
引退に際しては寂しさも口にしましたが、相撲人生をやり切ったという思いも伝わる会見でした。
その後は清見潟親方として後進の指導に進み、2022年1月30日には両国国技館で引退披露大相撲と断髪式が行われています。
【栃煌山の経歴年表】高知県から関脇まで駆け上がった15年間
栃煌山は高知県安芸市出身です。
高校相撲の名門として知られる明徳義塾高校で力を磨き、2005年1月場所に初土俵を踏みました。
その後、着実に番付を上げ、20歳で幕内力士となります。
栃煌山の主な経歴と転換点※日本相撲協会の力士プロフィール、年寄プロフィール、引退発表時の報道を基に整理。
最高位は関脇!大関昇進には届かなかった栃煌山の最高位は関脇です。
三役在位は合計25場所で、内訳は関脇11場所、小結14場所でした。
大関候補として名前が挙がることもありましたが、最終的に大関昇進は実現していません。
ただし、大関になれなかったことだけで現役時代の価値を判断するのは適切ではありません。
幕内で長く安定して戦い、横綱を相手に何度も金星を挙げた実績は、上位陣の中で存在感を示し続けた証拠です。
【生涯成績を徹底検証】661勝598敗19休、金星6個、三賞6回の実績
栃煌山の現役時代を評価するうえで欠かせないのが、日本相撲協会の公式プロフィールに掲載されている戦歴です。
検索時に混同されやすいのが、生涯成績と幕内成績の違いです。
両者は対象となる番付の範囲が異なります。
生涯戦歴と幕内戦歴の違い
生涯戦歴・91場所661勝598敗19休
序ノ口から引退までの通算記録
幕内戦歴・77場所573勝563敗19休
幕内での通算記録
日本相撲協会の公式プロフィールでは、この2つの記録が明確に区別されています。
検索キーワードにある661勝598敗19休は生涯戦歴、573勝563敗19休は幕内戦歴です。
どちらかが誤りというわけではありません。
金星6個!横綱相手にも強さを発揮栃煌山は現役時代に金星を6個獲得しました。
金星とは、平幕力士が横綱に勝った際に記録される殊勲です。
相手が横綱であることから、通常の白星とは異なる価値を持ちます。
栃煌山が金星を獲得した横綱には、次の力士がいます。
- 白鵬:1個
- 日馬富士:1個
- 鶴竜:1個
- 稀勢の里:3個
特に稀勢の里から3個の金星を獲得した点は注目に値します。
稀勢の里とは同学年で、長年にわたって対戦を重ねてきました。
三賞受賞歴は合計6回三賞は、幕内力士の優れた活躍を評価する賞です。
栃煌山は殊勲賞、敢闘賞、技能賞をそれぞれ2回ずつ受賞しています。
| 三賞 | 受賞回数 | 主な受賞場所 |
|---|---|---|
| 殊勲賞 | 2回 | 2012年9月、2015年7月 |
| 敢闘賞 | 2回 | 2007年3月、2012年5月 |
| 技能賞 | 2回 | 2008年3月、2010年9月 |
| 合計 | 6回 | 3種類をすべて受賞 |
殊勲賞は横綱や大関など上位力士に対する活躍、敢闘賞は場所を通じた健闘、技能賞は相撲技術の優秀さが評価される賞です。
3種類すべてを複数回受賞していることからも、栃煌山が単に勝ち星を積み重ねただけの力士ではなかったことが分かります。
幕内優勝はゼロ。それでも評価される理由日本相撲協会の公式記録では、栃煌山の幕内優勝回数は0回です。
2012年夏場所の優勝決定戦に進出したものの、優勝には届きませんでした。
一方、三段目では2005年11月場所に優勝しています。
幕内優勝がないことと、幕内で優れた成績を残したことは別の評価軸です。
栃煌山の場合、77場所の幕内在位と6個の金星、6回の三賞受賞が、長期間にわたる競技力を示しています。
【名勝負を振り返る】旭天鵬との優勝決定戦と稀勢の里最後の一番
栃煌山の現役時代を象徴する取組として、特に語り継がれるのが2012年夏場所と2019年初場所の2番です。
2012年夏場所:旭天鵬との優勝決定戦2012年5月の夏場所は、栃煌山にとって幕内初優勝に迫った場所でした。
東前頭4枚目だった栃煌山は、12勝3敗の成績で千秋楽を迎え、優勝決定戦に進出します。
対戦相手は西前頭7枚目の旭天鵬でした。
この優勝決定戦は、史上初の平幕同士による幕内優勝決定戦としても注目されました。
取組結果は次のとおりです。
- 場所:2012年5月場所(夏場所)
- 栃煌山:東前頭4枚目
- 旭天鵬:西前頭7枚目
- 本割までの成績:ともに12勝3敗
- 優勝決定戦の決まり手:はたき込み
- 勝者:旭天鵬
結果は栃煌山の敗戦でした。
旭天鵬は37歳8か月で幕内初優勝を果たし、当時の史上最年長初優勝記録を打ち立てました。
この一番は、栃煌山にとって悔しさの残る取組となりました。
2020年の引退会見でも、本人はこの優勝決定戦について振り返っています。
一番一番に集中していた結果、決定戦まで進めたこと、そして最後に勝てなかったことが自分の弱さや甘さとして残ったと語りました。
しかし、この経験が再び優勝決定戦の舞台に立つための原動力になったとも明かしています。
2019年初場所:稀勢の里の最後の相手になった一番もう一つの重要な取組が、2019年1月15日の初場所3日目です。
対戦相手は横綱・稀勢の里でした。
この取組で栃煌山は、鋭い立ち合いから相手の懐に入り、もろ差しの形を作ります。
その後、相手の体勢を崩し、最後は寄り切りで勝利しました。
この一番が特別な意味を持つのは、稀勢の里にとって現役最後の取組だったからです。
稀勢の里は初日から3連敗となり、翌1月16日に現役引退を発表しました。
つまり、栃煌山は第72代横綱ではなく第72代ではない第72? といった横綱の歴史的な一番ではなく、稀勢の里が横綱として最後に土俵に上がった取組の対戦相手となったのです。
日刊スポーツの2019年1月16日の報道によると、栃煌山は稀勢の里の引退を知り、「何とも言えない気持ちですね」と心境を語っています。
両者は同学年で、幕内では43回対戦。栃煌山の17勝26敗という対戦成績でした。
引退会見でも、栃煌山はこの一番を思い出に残る取組として挙げています。
同学年のライバルと最後に土俵で戦えたことには、勝敗だけでは語れない意味があったのでしょう。
【豪栄道との関係と相撲の特徴】幼少期からのライバルと右四つ・寄り
栃煌山を語るうえで、元大関・豪栄道の存在も欠かせません。
両者は小学生時代から相撲を通じて競い合ってきたライバルでした。
豪栄道とは小学生時代からのライバル栃煌山と豪栄道は、プロ入り前から互いを意識していた関係です。
デイリースポーツの2020年7月の報道によると、栃煌山は小学生のころから豪栄道と対戦しており、負けたくないという気持ちを持って相撲に取り組んできたと語っています。
両者は2005年1月場所に初土俵を踏んだ同期でもあります。
ただし、所属部屋は異なります。
| 項目 | 栃煌山 | 豪栄道 |
|---|---|---|
| 現役時代の最高位 | 関脇 | 大関 |
| 所属部屋 | 春日野部屋 | 境川部屋 |
| 初土俵 | 2005年1月 | 2005年1月 |
| 関係 | 幼少期からのライバル | 幼少期からのライバル |
| 引退後 | 清見潟親方 | 武隈親方 |
豪栄道は大関まで昇進し、栃煌山は関脇で現役生活を終えました。
最高位は異なりますが、幼少期から同じ土俵を目指してきた2人の関係は、角界でも印象的なライバル関係の一つです。
得意技は右四つ・寄り日本相撲協会の公式プロフィールに掲載されている栃煌山の得意技は、右四つ・寄りです。
右四つとは、相手と組んだ際に右手を相手の左下手に差し、組み合う体勢を指します。
寄りは、相手に密着しながら前進し、土俵の外へ押し出すようにして勝負を決める技です。
栃煌山の相撲には、次のような特徴がありました。
- 立ち合いから前に出る姿勢を大切にする。
- 相手の懐に入って有利な組み手を作る。
- 右四つから圧力をかけ、寄りで勝負を決める。
- 苦しい場面でも自分の型を崩さず、正面から戦う。
器用な変化や小手先の技に頼るというより、自分の相撲を磨き続けるタイプでした。
本人も引退会見で、器用な相撲が取れなかったからこそ、稽古を重ねて体に技術を染み込ませてきたという趣旨の話をしています。
この姿勢は、長期間にわたって幕内で戦い続けた背景にもつながっています。
【プロの結論】栃煌山の本当の評価は優勝回数だけでは決まらない栃煌山のキャリアを評価する際、幕内優勝が0回だったことだけに注目すると、実績の全体像を見誤ります。
重要なのは、幕内在位77場所という長期的な安定感、三役25場所という上位での経験、そして金星6個という横綱相手の実績です。
加えて、三賞を6回受賞していることから、勝ち星だけでなく相撲内容も高く評価されていたことが分かります。
大関や横綱にならなかった力士にも、長く上位で戦い続けたからこそ残せる価値があります。
栃煌山は、その代表的な存在といえるでしょう。
【栃煌山に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:栃煌山は現在何をしている?
A1:2026年現在は清見潟親方として日本相撲協会に所属し、春日野部屋の部屋付き親方を務めています。後進の指導に加え、審判委員としての活動も報じられています。
Q2:栃煌山の引退理由は何?
A2:2020年3月場所で3勝12敗と負け越し、2度目の十両陥落が決まったことが大きなきっかけです。以前から次に十両へ落ちたら引退すると決めており、2020年7月15日に引退を発表しました。
Q3:栃煌山の生涯成績と最高位は?
A3:生涯戦歴は661勝598敗19休、幕内戦歴は573勝563敗19休です。最高位は関脇で、金星6個、殊勲賞2回、敢闘賞2回、技能賞2回を記録しています。
Q4:栃煌山は旭天鵬との優勝決定戦に勝った?
A4:いいえ。2012年夏場所の優勝決定戦で旭天鵬と対戦し、はたき込みで敗れました。栃煌山は12勝3敗で決定戦まで進みましたが、幕内初優勝には届きませんでした。
栃煌山は、最高位関脇まで昇進し、生涯661勝598敗19休という戦歴を残した元力士です。
2012年夏場所では旭天鵬との優勝決定戦に進み、2019年初場所では稀勢の里の現役最後の取組相手となりました。
そして2020年7月、2度目の十両陥落を機に現役を引退。清見潟親方として新たな道を歩み始めました。
2026年現在は春日野部屋に所属し、相撲協会の委員として審判業務にも携わっています。
栃煌山の現役時代を振り返ると、際立つのは最後まで自分の相撲を貫いた姿勢です。
大関や幕内優勝という目標には届かなかったものの、長年にわたる幕内での活躍、6個の金星、6回の三賞受賞は色あせません。
現役時代に培った技術と経験を、これからどのような力士に伝えていくのか。清見潟親方としての今後の活動にも注目が集まります。