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【引退から現役復帰へ】小田急の監督就任と1988年ソウル五輪

由良 一樹 由良 一樹 • 更新: • 公開: • 読了約 10 分
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ロサンゼルス五輪で銅メダルを獲得した江上さんは、その後いったん現役を引退しました。

ところが、バレーボールとの関係はそこで終わりませんでした。次に選んだのは、選手ではなくチームを育てる指導者の道です。

1986年、小田急女子バレーチームの初代監督に就任

1986年、江上さんは新設された小田急女子バレーチームの初代監督に就任しました。

当時のチームは、これから強化を進めていく新しい組織でした。日立と全日本で培った経験を生かし、今度は選手を育てる立場に回ったのです。

日本リーグでの実績と国際大会の経験を持つ江上さんが監督に迎えられたことは、小田急にとっても大きな意味を持っていました。

1987年、なぜ現役復帰を決断したのか

注目したいのが、1987年の現役復帰です。

監督として新チームの基盤づくりに携わっていた江上さんは、再び選手としてコートに立つことになります。

文春オンラインの女子バレー特集では、当時の復帰について、全日本の強化を担っていた山田重雄監督からの要請や、小田急の新チームを立ち上げたばかりという事情が紹介されています。

現役を離れて2年以上が経過していたため、本人にとっても身体的な負担は大きかったとされています。

つまり、単純に競技への未練から復帰したという話ではありません。日本代表の強化、新設チームへの責任、選手としての使命が重なった決断だったのです。

1988年ソウル五輪では日本代表として4位

1988年、江上さんは丸山由美の名前でソウルオリンピックに出場しました。

日本バレーボール協会の公式記録では、丸山由美さんは小田急所属のセンターとして登録されています。

大会の女子日本代表は4位。ロサンゼルス大会の銅メダルに続くメダル獲得とはなりませんでしたが、一度引退した選手が再び五輪の舞台に立ったことは、特筆すべきキャリアです。

なお、1980年モスクワ五輪については、日本が不参加だったため出場していません。江上さんは同大会の代表に選ばれたとする戦績資料もありますが、実際に五輪のコートに立ったのは1984年と1988年の2大会です。

【丸山由美の現在】2026年の活動と指導者としての実績

江上由美バレーボール

江上由美さんを調べると、「丸山由美」という名前も頻繁に登場します。

これは別人ではありません。江上由美と丸山由美は同一人物です。

1984年のロサンゼルス五輪では江上由美、1988年のソウル五輪では丸山由美として登録されています。日本バレーボール協会の公式記録でも、2つの名前と同じセンターというポジションが確認できます。

2026年現在は江戸川大学女子バレー部のアドバイザー

2026年の最新情報として注目したいのが、江戸川大学の女子バレーボール部です。

同大学が公開している2026年度の公式スタッフ名簿には、丸山由美さんがアドバイザーとして掲載されています。

ここで重要なのは、監督ではなくアドバイザーという役職であることです。現役時代の技術と、長年にわたる指導経験を生かして大学チームを支える立場にあります。

加えて、2026年10月27日付の江戸川大学公式ニュースには、女子バレーボール部が関東大学女子2部リーグで初優勝したことが掲載されました。

10月24日の明海大学戦では、最初の2セットを落としながら逆転勝利。翌25日の中央大学戦にも勝利し、初優勝を決めています。

同大学は10月31日に1部・2部入れ替え戦を控えていました。丸山さんがアドバイザーを務めるチームの新たな挑戦として、2026年の注目すべき動きです。なお、優勝の直接的な指導功績を丸山さん個人に帰する発表ではありません。

日本バレーボール協会公認講師としての活動

丸山さんは、選手引退後もバレーボールの普及と指導に携わってきました。

2021年4月に公開された本人のインタビューでは、日本バレーボール協会公認講師、小田急バレーボールクリニック主任講師として紹介されています。

また、実業之日本社のプロフィールにも、これらの指導活動が掲載されています。小田急のクリニックでの活動は、選手経験を地域のバレーボール愛好者に伝える取り組みとして知られています。

2026年度の江戸川大学公式名簿で確認できる現在の役職はアドバイザーです。公認講師や小田急クリニック主任講師という肩書については、2021年のインタビューなどで確認できる活動歴と区別して理解する必要があります。

指導者として大切にしている考え方

2021年のインタビューでは、丸山さんはママさんバレーの指導についても語っています。

特に印象的なのは、年齢や運動能力だけでプレーの可能性を決めない姿勢です。

本人は、バレーボールを楽しむことや、それぞれが得意な部分を伸ばすことを大切にしています。

「得意なものを見つけて、バレーボールが楽しいって思っていただけると嬉しいですね。」

これはインタビュー後編で紹介された本人の言葉です。

現役時代は日本代表の主将として勝利を追求し、引退後は年齢や経験の異なる人々にスポーツの楽しさを伝える。指導者としての活動には、競技の裾野を広げるという別の価値があります。

【プロの結論】江上由美の本当の功績は五輪メダルだけではない

江上由美さんのキャリアを振り返ると、評価すべき要点は大きく3つあります。

1つ目は、世界レベルのセンタープレーヤーとしての技術です。

175cmという身長だけに頼らず、相手の攻撃を読む力とブロックのタイミングで勝負しました。日本リーグでの複数回のブロック賞は、その技術を裏付けています。

2つ目は、選手と指導者の両方を経験したことです。

ロサンゼルス五輪後の引退、小田急の監督就任、現役復帰、ソウル五輪出場という経歴は、トップアスリートとしても指導者としても異例の歩みです。

3つ目は、競技人生を次世代へつないでいることです。

日本バレーボール協会の公認講師としての活動や、江戸川大学女子バレーボール部のアドバイザーという現在の役割は、長年の経験を後進へ伝える活動につながっています。

江上由美について間違えやすい3つのポイント
よくある混同 正しい情報
江上由美と丸山由美は別人 同一人物。旧姓が江上
ソウル五輪でも銅メダルを獲得した 1988年ソウル五輪の日本女子は4位
2026年も小田急の監督をしている 2026年度の江戸川大学公式名簿ではアドバイザー

選手時代の成績を知りたい場合は、日本バレーボール協会の大会記録を、現在の活動を知りたい場合は所属先の最新スタッフ名簿を優先すると、情報を正しく整理できます。

【江上由美のバレーボール】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:江上由美さんの身長とポジションは?

A1:身長175cm、ポジションはセンターです。ブロック技術と相手の攻撃を読む能力に優れ、日本リーグではブロック賞を4度受賞しています。

Q2:江上由美さんはロサンゼルス五輪で金メダルを獲得しましたか?

A2:いいえ。1984年ロサンゼルスオリンピックで獲得したのは銅メダルです。日本女子代表は3位でした。

Q3:江上由美さんと丸山由美さんは同一人物ですか?

A3:はい。同一人物です。1984年のロサンゼルス五輪では江上由美、1988年のソウル五輪では丸山由美として出場しています。

Q4:江上由美さんはなぜ現役復帰したのですか?

A4:1986年に小田急女子チームの監督に就任した後、日本代表の強化などを背景に1987年に現役復帰しました。翌1988年にはソウル五輪に出場しています。

Q5:江上由美さんは2026年現在、何歳ですか?

A5:1957年11月30日生まれのため、2026年10月30日時点では68歳です。2026年11月30日に69歳を迎えます。

Q6:江上由美さんは現在もバレーボールの指導をしていますか?

A6:江戸川大学の2026年度女子バレーボール部スタッフ名簿では、アドバイザーとして掲載されています。また、日本バレーボール協会公認講師や小田急バレーボールクリニック主任講師としての活動歴もあります。

江上由美さんは、日立時代から全日本女子の主力として活躍し、1977年ワールドカップ優勝、1984年ロサンゼルス五輪銅メダルという輝かしい実績を残した選手です。

その後も小田急の監督として指導者の道を歩み、1987年に現役復帰。1988年のソウル五輪にも出場しました。

そして2026年現在、丸山由美さんの名前で江戸川大学女子バレーボール部のアドバイザーを務めています。

彼女の経歴で特に注目したいのは、世界で戦った選手が、引退と復帰を経て、今度は次世代を支える立場へと活動の幅を広げてきたことです。

ロサンゼルス五輪の銅メダルは、その長い競技人生を象徴する実績の一つ。選手としての技術、主将としての責任、指導者としての経験を併せ持つ江上由美さんは、日本女子バレーボールの歴史を語るうえで欠かせない人物です。

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由良 一樹
コンテンツディレクター 由良 一樹
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スポーツ報道10年。連盟の公式記録、試合結果、会見の書き起こしで数値と経歴を確認しています。

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