ピエール瀧さんの若い頃は、現在の強烈な俳優としての存在感からは想像しにくい、野球に打ち込む高校球児であり、音楽やサブカルチャーに夢中になる青年でした。1967年4月8日生まれ、静岡県静岡市出身。2026年10月現在、59歳を迎えています。
特に興味深いのが、静岡県立静岡東高校の野球部で過ごした高校時代と、16歳の夏に石野卓球さんと出会ったエピソードです。その後、臨床検査技師を目指して上京し、前身バンド「人生」への参加を経て、1989年に電気グルーヴを結成。1991年にはアルバム『FLASH PAPA』でメジャーデビューを果たしました。2024年に公開された34年前の写真も、若い頃の姿を知る手がかりとして話題になっています。
【若い頃の写真】ピエール瀧は本当にかっこいい?23歳当時の姿が話題に

ピエール瀧さんの若い頃の写真を探している人の間で、特に注目されているのが1990年に撮影されたロサンゼルスでの一枚です。
2024年8月、瀧さんは自身のInstagramで、制作会社に勤めていた頃の写真を公開しました。本人の説明によると、ロサンゼルスでロケハンをしていた際の写真です。
日刊スポーツの報道では、写真に刻まれた撮影日は1990年5月18日。1967年4月8日生まれの瀧さんは、当時23歳でした。
写真に写る瀧さんは、長めの髪に後ろ向きのベースボールキャップ、白いパーカーというスタイル。両手をポケットに入れて歩く姿には、当時の若者らしい自由な雰囲気があります。
現在の貫禄ある姿とは異なり、細身でシャープな印象が際立つ一枚です。俳優として知られる前に、映像制作会社で働いていたという経歴も、この写真から見えてきます。
さらに2024年11月には、映画監督の樋口真嗣さんから送られてきたという34年前の写真もInstagramで紹介されました。こちらも制作会社時代の姿で、スポニチの報道によると、フォロワーから「男前」「かっこいい」「若くて細い」といった反応が寄せられました。
ここで押さえておきたいのは、これらの写真が高校時代のものではないという点です。公開された写真は23歳前後の制作会社勤務時代の姿。10代の高校球児だった頃とは、時期が異なります。
若い頃のピエール瀧さんがかっこいいと評判になった理由は、単に若さだけではありません。ロングヘアやキャップを使ったファッション、自然体の立ち姿など、当時のカルチャーに馴染んだ独特の雰囲気も魅力になっています。
【高校時代】静岡東高校の野球部で活躍!阪神の入団テストも受験
ピエール瀧さんの若い頃を語るうえで欠かせないのが、静岡県立静岡東高校での野球経験です。
現在はミュージシャンや俳優として知られていますが、高校時代の瀧さんは3年間野球部に所属していました。ポジションは一塁手。打順は5番や6番を任されていたと、本人が過去の取材で振り返っています。
野球部で過ごした3年間と高校最後の試合2014年、デイリースポーツの取材で瀧さんは、高校3年生の夏に出場した静岡県大会を振り返りました。
最後の試合は静岡県予選3回戦の静岡西高校戦。両チーム合わせて32安打が飛び出す乱打戦となり、静岡東高校は敗退しました。
瀧さんは当時の思い出として、ファーストゴロが顔面に当たったことを印象的な出来事として語っています。
また、当時の試合映像には、6番ファーストで出場した瀧さんが初回に中越えのタイムリーツーベースを放ち、二塁ベース上でガッツポーズをする姿も残っていると報じられました。
単に野球部に所属していただけではなく、実際に試合で結果を残していたことが分かるエピソードです。
高校3年生で阪神タイガースの入団テストを受験さらに驚かされるのが、瀧さんが高校時代に阪神タイガースの入団テストを受けていたことです。
1985年、阪神タイガースが日本一に輝いた年、瀧さんは甲子園球場で実施された入団テストに挑戦しました。
ただし、本人が2014年のデイリースポーツの取材で明かした受験理由は、プロ野球選手になることだけが目的ではありませんでした。
「高校生の間に甲子園の土を踏みたいがために受けました。“思い出づくり”です」
入団テストでは、遠投80メートル、50メートル走7秒5ほどの記録を出し、一次テストを通過。バッティングテストにも進みました。
最終的にプロ入りは実現しませんでしたが、甲子園で実際に打席に立つという目標は達成しています。
高校時代の瀧さんには、プロ野球選手を目指して厳しい練習に取り組む一面と、面白そうな経験を自分で楽しみに行く一面がありました。この二つの性格は、後の音楽活動にもつながっていきます。
【16歳の夏】ピエール瀧と石野卓球の出会い!YMOとクラフトワークが結んだ縁
電気グルーヴの歴史を語るとき、石野卓球さんとピエール瀧さんの出会いは最も重要な出来事の一つです。
二人が知り合ったのは高校1年生の頃。しかも、同じ学校の同級生だったわけではありません。共通の友人を介して知り合ったという、意外なきっかけでした。
野球部の部室で音楽の趣味を話したことが始まり2023年10月、TOKYO FMのラジオ番組「川島明 そもそもの話」に出演した瀧さんは、当時の出会いを詳しく説明しています。
高校に入学して野球部に入った瀧さんは、部員同士で自己紹介をする際、好きな音楽について話しました。そのとき挙げたのが、YMOやクラフトワークといったテクノ系アーティストです。
すると、共通の友人から「同じ中学の同級生に詳しい人がいる」と紹介されました。その人物こそ、石野卓球さんだったのです。
「16歳の夏、石野卓球くんの家に行きました」
瀧さんが初めて訪れた卓球さんの家には、レコードやサブカルチャー系の漫画などがたくさんありました。学校になじめないけれど、いわゆる不良グループにも属さないような若者たちが集まる場所だったといいます。
二人はそこでニューウェーブのレコードを聴いたり、漫画を読んだりして過ごしました。
石野卓球は高校時代から音楽制作をしていた当時の卓球さんは、すでに静岡市内の小さなライブハウスで音楽活動を始めていました。
興味深いのは、その制作方法です。2023年のTOKYO FMのインタビューによると、卓球さんはラジカセを複数台使い、リズムマシンやシンセサイザーの音を順番に録音して重ねる、いわゆるピンポン録音で音楽を制作していました。
現在のデジタル音楽制作とは異なり、録音を重ねるほど音質が劣化していくアナログな手法です。それでも高校時代から自分の音楽を形にしていた卓球さんの姿勢は、後の電気グルーヴにつながるものでした。
瀧さん自身は、最初から楽器が弾けたわけでも、歌が特別うまかったわけでもありませんでした。
ライブを観に行って客席で盛り上がっているうちに、ステージに上がるようになったと本人は説明しています。演奏技術よりも、面白いことをやりたいという気持ちが先にあったのです。
2017年のMANTANWEBのインタビューでは、二人が別々の中学・高校に通っていたことも紹介されています。共通の友人がきっかけとなった関係が、何十年にもわたる音楽活動のパートナーシップへ発展しました。
【上京と臨床検査技師】ピエール瀧はなぜ音楽の道に進んだのか?
高校を卒業した後の瀧さんは、最初からミュージシャンになると決めていたわけではありませんでした。
むしろ、将来の仕事について考えた際に選んだのは、臨床検査技師という専門職でした。
生物や科学が好きで、臨床検査技師を目指した2023年のTOKYO FMのインタビューで、瀧さんは高校卒業時の進路について語っています。
もともと生物や科学に興味があったものの、医師になるのは難しいと考え、専門学校に進学すれば目指せる臨床検査技師に関心を持ったそうです。
また、東京に行ってみたいという気持ちもありました。静岡を離れて新しい環境に飛び込むため、専門学校への推薦を受けて上京します。
本人が当時の心境を表した言葉が、次の一言です。
「手に職をつければ何とかなるのでは?」
ところが、東京での学生生活は長く続きませんでした。
瀧さんは19歳で上京したものの、学校を辞めてしまいます。ゲームに熱中したり、卓球さんと音楽活動をしたりするうちに、専門学校で勉強を続ける道から離れていきました。
ここで注意したいのは、瀧さんが臨床検査技師として働いていたわけではないという点です。目指して専門学校に入学したものの、資格取得に至る前に退学しています。
前身バンド「人生」に参加して音楽活動が本格化上京後、瀧さんは石野卓球さんが中心となって活動していたバンド「人生」に参加します。
静岡時代に卓球さんのライブを観ていた瀧さんにとって、今度は観客ではなく演者として音楽に関わることになったわけです。
「人生」はナゴムレコードに所属して活動したバンドで、電気グルーヴの前身にあたります。
ただし、バンド活動だけで生活が安定していたわけではありません。TOKYO FMのインタビューで瀧さんは、「人生」が東京進出後およそ3年で解散したことを振り返っています。
その後、映像ディレクターという仕事にも興味を持ち、映像制作会社に入社しました。
音楽と映像の関係が深まっていた時代に、音楽関連の映像を制作する仕事に魅力を感じていたそうです。
この経験は、後年のミュージックビデオ制作や映像クリエイターとしての活動にもつながっています。瀧さんは単に音楽を演奏するだけではなく、映像や演出を含めて表現することにも関心を持っていたのです。
【電気グルーヴ結成までの年表】1989年結成、1991年『FLASH PAPA』でメジャーデビュー
ピエール瀧さんの若い頃の経歴を整理すると、野球、音楽との出会い、上京、バンド活動、映像制作という複数の経験が連続していることが分かります。
ソニーミュージックの公式プロフィールと電気グルーヴの公式プロフィール、本人のインタビューをもとに、主な転換点をまとめました。
| 時期 | 出来事 | 経歴上のポイント |
|---|---|---|
| 1967年 | 静岡県静岡市に生まれる | 4月8日生まれ |
| 高校1年・16歳 | 石野卓球と出会う | 共通の友人を介して音楽の趣味が一致 |
| 1985年 | 静岡東高校の野球部で最後の夏を迎える | 阪神タイガースの入団テストも受験 |
| 19歳ごろ | 臨床検査技師の専門学校に進むため上京 | 学校を辞めて音楽活動へ |
| 1980年代後半 | バンド「人生」に参加 | 石野卓球を中心とした音楽活動 |
| 1989年 | 電気グルーヴを結成 | 石野卓球とピエール瀧らが中心 |
| 1990年 | 制作会社勤務時代の写真が撮影される | 5月18日、23歳のロサンゼルスでの姿 |
| 1991年 | 『FLASH PAPA』でメジャーデビュー | 音楽ユニットとして本格的に活動 |
| 1995年ごろ | 俳優としての活動も開始 | 音楽以外の表現分野へ進出 |
| 2026年 | 映画出演と音楽活動を継続 | 11月の東名阪Zeppツアーを予定 |
電気グルーヴの結成は1989年。1991年にはアルバム『FLASH PAPA』でメジャーデビューしました。これはソニーミュージックと電気グルーヴ公式プロフィールの双方で確認できる経歴です。
電気グルーヴはなぜ独自の存在になったのか電気グルーヴの特徴は、単純にテクノ音楽を演奏するユニットではなかったことです。
石野卓球さんが音楽制作やDJを中心に担う一方、瀧さんはボーカルやパフォーマンス、ステージ上の独特な存在感でユニットを支えてきました。
楽器演奏の技術を出発点にするのではなく、面白いと思ったことを形にする。高校時代に卓球さんのライブを観ていた瀧さんが、客席からステージへ移った経緯を考えると、電気グルーヴの自由な表現スタイルの原点が見えてきます。
1995年ごろから瀧さんは俳優としても活動を開始。1997年の「Shangri-La」やアルバム『A』など、電気グルーヴの音楽的な成功と並行して、映像・俳優の仕事も広がっていきました。
2013年の映画『凶悪』では演技が高く評価され、報知映画賞、ブルーリボン賞、毎日映画コンクール、日本アカデミー賞などで助演男優賞を受賞しています。
高校時代に野球とテクノ音楽を両立していた青年が、音楽家、映像クリエイター、俳優へと活動領域を広げたことは、瀧さんのキャリアを理解するうえで要点です。
【2026年最新】ピエール瀧の現在は?映画出演と電気グルーヴの活動
2026年10月現在、ピエール瀧さんは59歳。ミュージシャンとしての活動を続けながら、映画や映像作品への出演も重ねています。
2026年の出演作として注目されるのが、5月29日公開の映画『TOKYO BURST-犯罪都市-』と、6月12日公開の映画『NEW GROUP』です。
2026年の映画『TOKYO BURST-犯罪都市-』では岩城良平役2026年5月29日に公開された『TOKYO BURST-犯罪都市-』では、瀧さんは岩城良平役を演じました。
韓国の人気アクション映画『犯罪都市』シリーズの世界観を日本オリジナルストーリーに展開した作品で、瀧さんが演じる岩城は、新宿に勢力を持つ岩城組の組長です。
パンチパーマにサングラスという強烈なビジュアルも特徴で、作品の中でも存在感のある役柄を担っています。
映画『NEW GROUP』では高校の校長役6月12日公開の映画『NEW GROUP』では、下津優太監督の作品に出演。山田杏奈さんや青木柚さんらと共演し、瀧さんは高校の校長役を務めました。
集団行動や人間ピラミッドを題材にしたSFサイコエンターテインメントで、学校という集団の中に潜む不気味さを描いた作品です。
2026年6月の双葉社「THE CHANGE」のインタビューでは、瀧さんは自身の俳優人生について、若い頃から現在まで、特定の職業や目標に向かって進んできたわけではないと語っています。
その中で印象的なのが、想像していなかった場所にたどり着くことの面白さを語った部分です。
高校時代に野球部に所属し、臨床検査技師を目指して上京した青年が、結果的に映画やドラマで幅広い役柄を演じるようになった。その歩みは、本人にとっても当初から想定していたものではありませんでした。
電気グルーヴは2026年11月に東名阪Zeppツアーを予定音楽活動についても、2026年は注目の予定があります。
電気グルーヴの公式サイトは2026年8月22日、秋の東名阪Zeppツアー「菩薩アー」の開催を発表しました。
- 2026年11月12日:Zepp Nagoya
- 2026年11月14日:Zepp Osaka Bayside
- 2026年11月20日:Zepp Haneda(TOKYO)
- 2026年11月21日:Zepp Haneda(TOKYO)
2026年10月30日時点で、これらの公演は今後予定されているライブです。
1989年に結成された電気グルーヴが、結成から37年を迎えた2026年にもライブ活動を続けていることは、瀧さんと石野卓球さんの関係が長く続いていることを示しています。
高校1年生の夏に共通の友人を通じて出会った二人が、現在も同じユニットのメンバーとして活動している。その時間の長さそのものが、電気グルーヴの大きな魅力です。
【ピエール瀧の若い頃】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ピエール瀧の若い頃は本当にかっこよかった?
A1:はい。2024年に本人が公開した1990年の写真では、23歳当時の細身の姿やロングヘア、後ろ向きのキャップを使ったファッションが確認できます。写真を見たフォロワーからも「男前」「かっこいい」といった反応が寄せられました。
Q2:ピエール瀧の出身高校はどこ?
A2:静岡県立静岡東高校です。高校時代は野球部に所属し、一塁手として5番や6番を打っていました。
Q3:ピエール瀧と石野卓球はいつ出会った?
A3:高校1年生、16歳の夏です。瀧さんが野球部の部室でYMOやクラフトワークが好きだと話したことがきっかけで、共通の友人から石野卓球さんを紹介されました。
Q4:ピエール瀧は臨床検査技師だった?
A4:臨床検査技師を目指して専門学校に入学しましたが、途中で退学しています。実際に資格を取得して臨床検査技師として働いていたわけではありません。
Q5:電気グルーヴは何年に結成された?
A5:1989年です。石野卓球さんとピエール瀧さんらが中心となって結成し、1991年にアルバム『FLASH PAPA』でメジャーデビューしました。
Q6:ピエール瀧は2026年現在、何歳?
A6:1967年4月8日生まれのため、2026年10月30日現在は59歳です。映画出演や電気グルーヴの音楽活動を続けています。
ピエール瀧さんの若い頃を振り返ると、静岡東高校の野球部で汗を流していた高校球児としての姿、16歳で石野卓球さんと出会った音楽好きの青年としての姿、そして19歳で上京して自分の進路を模索した姿が浮かび上がります。
特に印象的なのは、臨床検査技師を目指して専門学校に進学したものの、音楽の楽しさに引き寄せられてバンド「人生」に参加し、最終的に電気グルーヴのメンバーになったことです。
また、1990年に撮影された23歳当時の写真からは、現在の豪快なイメージとは異なる、スタイリッシュで若々しい一面も確認できます。
瀧さんのキャリアを理解するうえで大切なのは、最初からミュージシャンや俳優になることを決めていた人物ではなかったという点です。野球、音楽、映像制作、俳優業と、目の前に現れた興味深いことに挑戦し続けた結果、現在の幅広い活動につながっています。
2026年も映画『TOKYO BURST-犯罪都市-』『NEW GROUP』への出演に加え、電気グルーヴの11月のZeppツアーが予定されています。
16歳の夏に始まった石野卓球さんとの交流が、40年以上の時を経ても続いていること。そして、若い頃に夢中になった音楽が今も活動の中心にあること。ピエール瀧さんの歩みは、型にはまらない選択を重ねることで、自分だけのキャリアを築いていく面白さを感じさせます。