貴ノ花利彰の基本プロフィールを整理すると、次のとおりです。
- 四股名: 貴ノ花利彰(たかのはな・としあき)
- 本名: 花田満(はなだ・みつる)
- 生年月日: 1950年(昭和25年)2月19日
- 出身地: 青森県弘前市
- 身長: 183cm
- 体重: 日本相撲協会公式プロフィールでは114kg
- 所属部屋: 二子山部屋
- 最高位: 大関
- 引退: 1981年(昭和56年)1月場所
- 死去: 2005年(平成17年)5月30日、55歳
これらは日本相撲協会の公式プロフィールに掲載されている情報です。講談社のデジタル版日本人名大辞典でも、本名や生年月日、出身地、家族関係が確認できます。
本名の花田満から貴ノ花へ花田満が相撲界に入ったのは、1965年(昭和40年)5月場所です。当時15歳で、兄の初代若乃花が興した二子山部屋に入門しました。
初土俵では本名の花田を名乗り、その後、四股名を変更しながら出世していきます。
1969年5月場所には貴ノ花の四股名を名乗るようになり、相撲界で広く知られる存在になりました。
なお、貴ノ花は引退後に年寄名跡を襲名し、二子山親方として活動しました。
そのため、資料によって「貴ノ花」「藤島親方」「二子山親方」「二子山満」と異なる名前が登場しますが、いずれも同一人物を指しています。
兄・初代若乃花の存在と相撲界入り貴ノ花の兄は、第45代横綱の初代若乃花幹士です。
兄は土俵上で圧倒的な存在感を示した名横綱であり、引退後には二子山部屋を興しました。
貴ノ花はその兄が築いた部屋に入門し、相撲の基礎を学びました。
兄の存在は大きな後ろ盾である一方、横綱の弟という立場は、周囲から常に比較される環境でもありました。
そうしたなかで貴ノ花は、自らの取り口と実績によって人気力士へと成長していきます。
【大関時代・戦績】幕内優勝2回と大関在位50場所の実力

貴ノ花利彰の力士としての評価を語るうえで欠かせないのが、大関としての長い活躍です。
日本相撲協会の公式記録によると、1972年11月場所に大関へ昇進し、1981年1月場所まで大関を務めました。
大関在位は50場所。
当時としては歴代最多の大関在位記録でした。横綱昇進こそ果たせませんでしたが、長期間にわたって幕内上位で活躍した実績は高く評価されています。
貴ノ花の生涯戦歴と主な受賞記録
日本相撲協会公式記録・生涯戦歴726勝490敗58休
95場所・現役在位の通算成績
2回
幕内最高優勝
50場所
大関在位
578勝
幕内通算勝利
422勝
大関通算勝利
三賞・金星
- 殊勲賞:3回
- 敢闘賞:2回
- 技能賞:4回
- 金星:1個
出典:日本相撲協会「歴代大関・貴ノ花利彰」
特に注目したいのは、幕内優勝2回だけでなく、三賞を合計9回受賞している点です。
優勝回数だけを見れば、歴代の大横綱と比較して突出した数字ではありません。しかし、殊勲賞・敢闘賞・技能賞をそれぞれ獲得していることから、対戦相手への強さ、土俵での奮闘、技術面の評価を幅広く受けていたことが分かります。
1975年の幕内優勝2回が転機貴ノ花が幕内最高優勝を果たしたのは、1975年(昭和50年)です。
- 3月場所: 初優勝
- 9月場所: 2度目の優勝
特に3月場所の初優勝は、相撲ファンの熱狂を呼びました。
集英社のスポーツメディア「Sportiva」の回顧記事によると、この場所では優勝を決めた際に会場で座布団が舞い、テレビ中継も50.6%という高視聴率を記録したとされています。
当時の貴ノ花が、単に強い力士というだけでなく、観客を熱狂させる人気力士だったことを示すエピソードです。
小柄な体格を補った相撲の技術貴ノ花の魅力は、体格だけに頼らない相撲でした。
日本相撲協会の公式プロフィールでは、得意技として次の技が記録されています。
- 左四つ
- 吊り
- 上手投げ
相手の懐に入り、組んでから粘り強く勝負する取り口が特徴でした。
体格で勝る相手に対しても簡単には土俵を割らず、最後まで勝機を探す姿勢が人気につながりました。
その端正な風貌と正攻法の相撲から付けられた呼び名が、「角界のプリンス」です。
【家族関係・経歴一覧】若乃花幹士、若乃花勝、貴乃花光司との関係
貴ノ花利彰の名前を検索すると、初代若乃花幹士、若乃花、貴乃花、花田満、藤田紀子といった人物が関連して登場します。
この関係を理解するには、親族と相撲界でのつながりを分けて整理することが大切です。
花田家の人物相関・関係一覧| 人物・名称 | 貴ノ花との関係 | 主な経歴・役割 |
|---|---|---|
| 初代若乃花幹士 | 実兄 | 第45代横綱。二子山部屋を創設 |
| 藤田紀子 | 元妻 | 1970年に結婚。長男・次男の母 |
| 若乃花勝(花田虎上) | 長男 | 第66代横綱・3代目若乃花 |
| 貴乃花光司 | 次男 | 第65代横綱。父の後に部屋を継承 |
| 貴ノ浪 | 弟子 | 元大関。藤島部屋で育った力士 |
| 二子山部屋 | 所属・継承した部屋 | 兄が創設。後に貴ノ花が師匠を務めた |
| 藤島部屋 | 独立後に創設 | 1982年に創設した自身の相撲部屋 |
初代若乃花幹士は、貴ノ花にとって実の兄です。
兄は第45代横綱として活躍し、引退後には二子山部屋を創設しました。
貴ノ花は兄の部屋で相撲人生をスタートさせています。
ただし、後に貴ノ花の長男も「若乃花」の四股名で横綱になったため、人物を混同しやすい点には注意が必要です。
- 初代若乃花幹士:貴ノ花の実兄
- 3代目若乃花勝:貴ノ花の長男
同じ若乃花という四股名でも、親族関係と世代が異なります。
長男・若乃花勝と次男・貴乃花光司貴ノ花の長男は、元横綱の若乃花勝(現在の花田虎上)です。
次男は、第65代横綱の貴乃花光司です。
兄弟そろって横綱に昇進したことは、父親である貴ノ花の指導者としての実績を語るうえで大きな意味を持ちます。
1990年代の大相撲人気を象徴する「若貴ブーム」も、この兄弟の活躍によって生まれました。
日本相撲協会の公式プロフィールでも、貴乃花光司の経歴と所属部屋の変遷が確認できます。
【引退理由と藤島部屋】現役引退から名伯楽への転身
貴ノ花利彰は、1981年(昭和56年)1月場所で現役を引退しました。
大関在位50場所という長い実績を残しながら、なぜ土俵を去ったのでしょうか。
1981年1月17日に引退を表明集英社のSportivaが掲載した引退回顧記事によると、貴ノ花は1981年1月場所の6日目、蔵玉錦との取組に敗れた後、引退を決意しました。
翌朝、引退を表明しています。
この場所は大関在位50場所目に当たり、当時の最多記録を更新していた時期でした。
引退会見では、人気力士としての立場について、次の言葉が伝えられています。
「人気は負担だった」
出典:集英社 Sportiva「初代・貴ノ花、引退」
この発言は、人気を集めることと、力士として結果を残し続けることの難しさを感じさせます。
貴ノ花は優勝2回を達成した1975年以降、再び幕内優勝を果たすことはありませんでした。
ただし、引退の経緯を単純に成績不振だけで説明することはできません。長年にわたる大関としての責任や、人気力士としての重圧も、当時の状況を理解するうえで重要な背景です。
引退後は藤島部屋を創設引退後、貴ノ花は年寄鳴戸を襲名し、親方として後進の育成に携わりました。
その後、年寄名跡を藤島に変更し、1982年2月に藤島部屋を創設します。
ここから、現役時代とは異なる第二の相撲人生が始まりました。
藤島部屋では、実の息子である若花田(後の若乃花)と貴花田(後の貴乃花)だけでなく、多くの実力派力士を育てました。
主な弟子には次の人物がいます。
- 貴乃花光司:第65代横綱
- 若乃花勝:第66代横綱
- 貴ノ浪:元大関
- 安芸乃島:元関脇
- 貴闘力:元関脇
特に貴ノ浪や安芸乃島など、息子以外にも幕内上位で活躍する力士を輩出した点は、指導者としての力量を示しています。
二子山部屋への合併と日本相撲協会での活動1993年には兄の初代若乃花が定年を迎えることに伴い、貴ノ花は年寄名跡を交換して二子山を襲名しました。
それに伴い、藤島部屋は二子山部屋と合併します。
さらに1996年には日本相撲協会の理事に就任し、審判部長などを経て、2004年には事業部長を務めました。
2004年2月には、次男の貴乃花光司に部屋を譲り、協会の運営に専念する立場へと移っています。
現役力士から部屋の師匠、さらに相撲協会の運営を担う立場へと進んだ経歴は、貴ノ花の相撲界に対する貢献の幅広さを物語っています。
【結婚・離婚と家族】妻・藤田紀子と2人の横綱を育てた父親
貴ノ花利彰の家族についても、検索されることの多いテーマです。
妻だった藤田紀子との結婚、離婚、そして2人の息子の横綱昇進は、相撲界の歴史と深く結び付いています。
藤田紀子との結婚は1970年貴ノ花は1970年、女優として活動していた藤田紀子と結婚しました。
藤田紀子の所属事務所が公開している公式プロフィールにも、当時幕内力士だった貴ノ花との結婚が記載されています。
結婚後、藤田紀子は芸能活動を一時引退し、相撲部屋のおかみとして家庭と部屋を支えました。
長男と次男が相次いで誕生2人の間には、2人の息子が生まれています。
長男:若乃花勝(花田虎上)
1971年生まれ。後に第66代横綱・3代目若乃花となりました。
次男:貴乃花光司
1972年生まれ。第65代横綱となり、幕内優勝22回を達成しました。
2人の息子がそろって横綱に昇進したことは、花田家が相撲界で特別な存在として知られるようになった大きな理由です。
2001年に藤田紀子と離婚貴ノ花と藤田紀子は、2001年に離婚しています。
藤田紀子の公式プロフィールにも、同年の離婚と芸能活動再開が記載されています。
結婚生活は約31年間に及びました。
その後も藤田紀子は芸能活動を続け、女優やタレント、コメンテーターとして活動しています。
なお、家族間の関係については、後年さまざまな報道がありました。しかし、貴ノ花本人の生涯を理解するうえでは、確認できる親族関係や相撲界での功績と、後年の家族をめぐる報道を分けて考える必要があります。
【2005年死去・死因・現在の評価】貴ノ花利彰が残した功績
貴ノ花利彰は、現役引退後も相撲界で活動を続けていましたが、2005年5月30日に亡くなりました。
享年55歳でした。
死因は口腔底がん貴ノ花の死因は、口腔底がん(こうくうていがん)です。
2005年5月30日、二子山親方として活動していた貴ノ花は、同疾患のため55歳で死去しました。
イミダスの当時の人物記事にも、死去の日付と病名が記録されています。
口腔底がんは、口の中の舌の下側にある口腔底に発生するがんです。
貴ノ花の場合、相撲界で長年活動してきた人物が55歳という若さで亡くなったことから、当時も大きな注目を集めました。
2026年現在、貴ノ花はどのように評価されているのか2026年現在、貴ノ花本人はすでに亡くなっており、現役活動や親方としての活動はありません。
しかし、相撲界に残した実績は明確です。
評価すべき功績は、大きく3つあります。
1. 大関として長く活躍した競技実績
大関在位50場所、幕内優勝2回、生涯726勝という成績は、当時の相撲界で確かな存在感を示す数字です。
2. 藤島部屋で多くの関取を育てた指導力
若乃花、貴乃花という2人の横綱だけでなく、貴ノ浪や安芸乃島などの力士を育てました。
3. 日本相撲協会の運営にも携わったこと
理事、審判部長、事業部長を経験し、現場の指導だけでなく協会運営にも関わりました。
この3点を合わせて考えると、貴ノ花は単なる人気力士ではなく、現役・育成・協会運営という複数の領域で相撲界に貢献した人物だったことが分かります。
【プロの結論】貴ノ花利彰の本当の偉大さは現役時代だけでは測れない
貴ノ花利彰の評価を、幕内優勝2回という数字だけで判断するのは十分ではありません。
横綱には届かなかったものの、50場所にわたって大関を務めた安定感は、長期間にわたり高い競技水準を維持した証拠です。
加えて、引退後には自ら相撲部屋を興し、2人の息子を横綱に育て上げました。
ここで注目したいのは、貴ノ花の功績が自分自身の勝利だけにとどまらなかったことです。
現役時代には土俵上で観客を魅了し、引退後には次世代の力士を育成し、最終的には日本相撲協会の運営にも携わりました。
「自分が強い力士であること」と「強い力士を育てること」の両方を実現した人物という評価こそ、貴ノ花の生涯を理解する重要な視点です。
【貴ノ花利彰に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:貴ノ花利彰の読み方と本名は何ですか?
A1:読み方は「たかのはな・としあき」です。本名は花田満(はなだ・みつる)です。引退後は二子山親方として知られました。
Q2:貴ノ花利彰は何回優勝し、大関に何場所在位しましたか?
A2:幕内最高優勝は2回、大関在位は50場所です。日本相撲協会の公式記録では、生涯戦歴は726勝490敗58休(95場所)となっています。
Q3:貴ノ花利彰の死因は何ですか?
A3:2005年5月30日、口腔底がんのため55歳で亡くなりました。晩年は二子山親方として日本相撲協会の事業部長などを務めていました。
貴ノ花利彰は、本名を花田満といい、1950年に青森県弘前市で生まれた元大相撲大関です。
1965年に二子山部屋から初土俵を踏み、1972年に大関へ昇進。大関在位50場所、幕内優勝2回、生涯戦歴726勝490敗58休という実績を残しました。
1981年に現役を引退した後は藤島部屋を創設し、若乃花勝と貴乃花光司という2人の横綱を育成。1993年には二子山部屋を継承し、日本相撲協会の理事や事業部長も務めました。
藤田紀子との結婚・離婚、兄の初代若乃花との関係、息子たちの横綱昇進など、花田家の歴史とも深く結び付いています。
2005年5月30日に口腔底がんで55歳の生涯を閉じましたが、その功績は今も相撲史に刻まれています。
貴ノ花利彰を理解する際に押さえておきたいのは、大関としての競技実績、藤島部屋での育成実績、日本相撲協会での運営実績という3つの側面です。
横綱には届かなかった大関でありながら、後世に2人の横綱を送り出した名伯楽でもあったこと。それこそが、貴ノ花利彰という人物の生涯を象徴しています。
主な参考資料:日本相撲協会公式力士プロフィール、講談社『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』、集英社 Sportiva、イミダス時事用語事典、藤田紀子公式プロフィール、ベースボール・マガジン社の相撲人物連載。