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映画『この国の空』を徹底解説 二階堂ふみ・長谷川博己の恋と原作、結末の真相・作品背景

大前 春陽 大前 春陽 • 更新: • 公開: • 読了約 22 分
目次

2015年に公開された映画『この国の空』は、1945年、終戦間近の東京を舞台に、19歳の女性と妻子ある男性の関係を描いた戦争ドラマだ。主演は二階堂ふみと長谷川博己。『ヴァイブレータ』『共喰い』などの脚本で知られる荒井晴彦が監督・脚本を担当し、芥川賞作家・高井有一の同名小説を映画化した。

本作の特徴は、戦争を戦場の英雄や兵士の視点から描くのではなく、空襲に怯え、食料不足に悩みながら暮らす市井の人々の日常と、極限状態で芽生える男女の欲望に焦点を当てたことにある。2026年現在、公開から11年が経過したが、戦時下の恋愛、女性の生き方、原作と映画の表現の違いを考えるうえで、改めて読み直す価値のある作品だ。

- 映画の基本情報: 2015年8月8日公開。二階堂ふみが19歳の里子、長谷川博己が隣人の市毛を演じる。
- 原作と文学賞: 高井有一の小説は1983年刊行、1984年に第20回谷崎潤一郎賞を受賞した。
- 物語の核心: 1945年の東京で、死の恐怖に直面した里子が妻子ある市毛との関係を深めていく。
- 監督の演出: 荒井晴彦は戦場ではなく、庶民の日常と男女の身体的・心理的な関係を描いた。
- 結末の意味: 戦争の終わりは里子にとって新たな苦悩の始まりでもある。

【作品概要】映画『この国の空』のあらすじと基本情報

この国の空
1945年の東京で始まる19歳の里子の物語

物語の舞台は、太平洋戦争末期の1945年、東京・杉並区。

主人公の田口里子(二階堂ふみ)は、母親や伯母と暮らす19歳の女性だ。度重なる空襲に怯え、食料の確保にも苦労する毎日を送っている。

戦況が悪化するなか、周囲では疎開する家族が増え、若い男性の姿も少なくなっていた。結婚適齢期を迎えた里子も、結婚することなく戦争で命を落とすのではないかという不安を抱えている。

そんな里子の隣に住んでいるのが、市毛(長谷川博己)という38歳の銀行支店長だ。

市毛は徴兵検査で丙種となり、招集を免れていた。妻子を地方に疎開させ、東京で一人暮らしを続けている。

里子は市毛の身の回りの世話をするようになり、次第に彼の存在を意識するようになる。最初は隣人同士の交流にすぎなかった関係が、やがて男女の関係へと変化していく。

空襲でいつ命を失うかわからない状況のなか、里子は自分の欲望や感情に向き合うようになる。

作品の基本データ
項目 内容
作品名 この国の空
公開日 2015年8月8日
製作国 日本
上映時間 130分
監督・脚本 荒井晴彦
原作 高井有一
主演 二階堂ふみ、長谷川博己
配給 ファントム・フィルム、KATSU-do
ジャンル 戦争ドラマ・恋愛ドラマ
詩 茨木のり子「わたしが一番きれいだったとき」

作品情報は配給・製作関連の公式情報や映画情報資料に基づく。

【出演者・キャスト】二階堂ふみと長谷川博己が演じる人物の関係

本作の大きな見どころは、二階堂ふみと長谷川博己の共演だ。

二人は以前にも『地獄でなぜ悪い』で共演しており、本作では戦時下の特殊な状況に置かれた男女を演じている。

二階堂ふみが演じる田口里子

里子は19歳。母親と伯母と暮らしながら、戦時下の生活を支えている。

一見すると慎ましく、母親の言いつけを守る普通の若い女性だ。しかし、内面には結婚への憧れや女性としての欲望、人生を経験しないまま死んでしまうことへの恐怖がある。

二階堂ふみの演技で注目したいのは、里子の変化が大げさな台詞ではなく、表情や仕草、視線によって表現されている点だ。

2015年のシネマトゥデイのインタビューでは、二階堂は里子の口調や仕草を作り込んだこと、成瀬巳喜男や小津安二郎の作品に登場する女優の話し方を意識したことを語っている。

現代的な話し方や振る舞いを抑え、昭和20年を生きる女性の存在感を作り上げた。

長谷川博己が演じる市毛

市毛は38歳の銀行支店長。妻子を疎開させ、一人で東京に残っている。

里子にとっては、身近にいる年上の男性であり、日常のなかで接するうちに心を惹かれていく存在だ。

市毛もまた、いつ命を失うかわからない時代を生きている。長谷川博己は、落ち着いた大人の男性としての表情の奥に、孤独や欲望を抱える人物を演じている。

インタビューでは、戦時中の写真を参考に髭を自前で用意したことや、死と隣り合わせの状況にいる人物の心理を想像しながら演じたことを明かしている。

主要キャスト・登場人物の関係一覧
登場人物・役割 出演者 作品内での関係
田口里子 二階堂ふみ 主人公。19歳の女性
市毛 長谷川博己 里子の隣人。妻子ある銀行支店長
里子の母 工藤夕貴 里子と暮らす母親
里子の伯母 富田靖子 田口家で生活する伯母
近所の住人 石橋蓮司 地域の人々を描く脇役
画家・高辻 奥田瑛二 戦時下の周辺人物
その他の出演者 利重剛・上田耕一 脇を固める出演者
里子と市毛はどのような関係なのか

二人は血縁関係でも親族でもなく、隣家に住む男女だ。

ただし、単純な恋愛関係として整理するには複雑な事情がある。

市毛には妻子がいる。里子はその事実を理解している。それでも彼に惹かれ、次第に自分から関係を深めていく。

ここで重要なのは、里子が常に受け身の女性として描かれているわけではないことだ。

二階堂ふみ自身も取材で、里子と市毛の関係では里子が主導する側面があると説明している。

戦争がなければ、二人は単なる隣人で終わっていた可能性が高い。市毛も妻子と暮らし、里子も同年代の男性との結婚を考えていたかもしれない。

二人の関係を生み出したのは、個人的な感情だけではなく、戦争によって日常の秩序や将来の選択肢が失われたという状況そのものだった。

【原作と映画の違い】高井有一の小説と谷崎潤一郎賞の意味

原作小説は1983年に刊行された文学作品

映画『この国の空』の原作は、作家・高井有一による同名小説だ。

高井有一は1932年に東京で生まれ、共同通信社に記者として勤めながら作家活動を続けた人物である。

1966年には『北の河』で芥川賞を受賞。『この国の空』をはじめ、戦争や人間の記憶、社会の変化を題材にした作品を残している。

原作小説は1983年に刊行され、翌1984年に第20回谷崎潤一郎賞を受賞した。

つまり、映画化をきっかけに評価された作品ではなく、映画公開より30年以上前から文学作品として評価を受けていた作品である。

谷崎潤一郎賞とは?

谷崎潤一郎賞は、作家・谷崎潤一郎の文学的業績を記念して創設された文学賞だ。

『この国の空』は1984年の第20回受賞作の一つとして選ばれている。黒井千次の『群棲』も同じ回の受賞作だ。

この受賞歴は、本作が単なる戦争を背景にした恋愛小説ではなく、戦時下の生活や人間の心理を描いた文学作品として評価されたことを示している。

原作小説と映画版は何が違う?

原作と映画の最大の違いは、物語を伝える表現方法にある。

小説では文章を通して、里子の内面や生活の細部、周囲の人々との関係を追うことができる。

一方、映画では二階堂ふみの視線、表情、身体の動き、長谷川博己との距離感によって心理を表現する。

比較項目 原作小説 映画版
作者・制作者 高井有一 荒井晴彦
表現方法 文章による心理描写 映像・演技・音響
中心人物 里子 里子
主なテーマ 戦時下の日常と女性の成長 戦時下の生活と男女の欲望
魅力 端正な文章と内面描写 俳優の表情や身体表現
作品の背景 1945年の東京 1945年の東京・杉並

映画化にあたり、荒井晴彦は監督だけでなく脚本も担当した。

そのため、原作の世界観を映像に置き換える際にも、物語の中心にある男女の心理や生活の手触りが重視されている。

原作を先に読むと、映画で描かれた人物の行動の背景を理解しやすくなる。一方、映画を先に観れば、文章では想像するしかなかった里子の感情を俳優の演技から受け取れる。

両方に触れることで作品の理解はさらに深まる。

【荒井晴彦監督の演出】戦争映画でありながら戦場を中心に描かない理由

荒井晴彦は、『ヴァイブレータ』『共喰い』などの脚本で知られる映画人だ。

本作は、1997年の監督作『身も心も』以来、約18年ぶりの監督作品となった。

映画化の企画自体は長い時間をかけて進められた。2015年8月の映画.comの取材では、荒井監督が原作の映画化権を取得したのは約30年前で、脚本の執筆に取りかかったのは公開の約7年前だったと説明している。

長い年月をかけて実現した企画だった。

戦争の悲惨さを恋愛の背景に置いた演出

荒井監督が選んだのは、戦場での戦闘や軍人の活躍を中心に描く方法ではなかった。

戦争によって日常生活が壊れていくなかで、普通の人々がどのように生き、何を求めるのかを描く方法だった。

監督は映画.comの取材で、戦争映画を戦地中心に描くとアクション映画になりやすいという考えを示し、本作では里子の恋愛に焦点を当てた理由を説明している。

この演出方針が、一般的な戦争映画とは異なる印象を生み出している。

空襲警報、防空壕、食料不足、物価の上昇。こうした生活上の問題が、恋愛の進行と同じ画面のなかに存在する。

観客は、戦争という大きな歴史の出来事を、里子という一人の女性の日常から見ることになる。

茨木のり子の詩が作品に与える意味

本作には、詩人・茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」が関係している。

この詩は、戦争によって青春を奪われた女性の経験を背景に生まれた作品だ。

映画では里子が詩を朗読し、エンドロールにも使用されている。

19歳という人生の節目に戦争を経験する里子の姿と、若さや青春を戦争によって制限された女性の視点が重なる。

作品の題名である「この国の空」も、単なる風景の説明ではない。

同じ空の下で、誰かが生活し、誰かが恋をし、誰かが空襲に怯えている。空という共通の風景が、個人の人生と国家の歴史を結び付ける象徴として機能している。

【1945年の東京】空襲と戦時下の生活が物語に与えた影響

本作の背景を理解するうえで欠かせないのが、1945年の東京の実情だ。

映画の舞台は東京・杉並区。東京大空襲で知られる下町とは異なる地域だが、杉並区も終戦まで繰り返し空襲を受けていた。

東京大空襲と杉並区の被害

1945年3月10日未明、アメリカ軍による大規模な東京空襲が行われた。

300機を超えるB29が東京の下町に焼夷弾を投下し、約10万人が亡くなったとされる。

しかし、東京の空襲被害は3月10日だけではない。

杉並区公式情報サイト「すぎなみ学倶楽部」が公開した戦後80年の資料によると、杉並区は1944年11月から終戦までに延べ18回の空襲を受けている。

杉並区の空襲被害は次の通りだ。

- 死者:181人
- 負傷者:611人
- 行方不明者:4人
- 全焼家屋:11,840棟
- 罹災者:43,059人

特に1945年5月24日から25日にかけては、杉並区で最大規模の被害が発生した。

この地域的な背景を踏まえると、映画で里子たちが空襲に怯えながら生活する描写は、単なる演出上の設定ではないことが分かる。

食料不足と女性の日常

当時の東京では、食料や生活必需品の不足が深刻化していた。

配給だけで十分な食料を確保することは難しく、物々交換や闇取引などに頼る生活も広がっていた。

映画でも、里子たちの食生活や食料の確保が重要な場面として描かれる。

市毛との交流にも、食料を分けてもらうことや身の回りの世話をすることが関係している。

つまり、二人の関係は突然始まった恋愛ではない。食べること、生きること、隣人と助け合うことという日常の延長線上で変化していく。

戦時下の女性にとって、結婚や恋愛は個人的な願望であると同時に、将来の生活を左右する問題でもあった。

里子が結婚できないまま死ぬことを恐れるのは、単に恋愛経験がないからではない。

自分の人生を自分の意思で生きる機会が、戦争によって失われていくことへの恐怖でもある。

【結末ネタバレ】里子と市毛の恋はどうなる?最後の意味を解説

ここからは映画の終盤と結末に触れる。

里子と市毛はついに一線を越える

市毛との距離を縮めていく里子。

二人は食料を手に入れるために行動を共にし、次第に互いを意識するようになる。

ある場面では、里子と市毛が二人きりで過ごす時間のなかで、身体的な親密さを深めていく。

里子にとって、それは単に年上の男性と恋愛をするという出来事ではない。

自分がまだ生きていること、自分にも欲望があり、人生を経験したいという気持ちがあることを確かめる行為でもある。

市毛も妻子が戻ってくる可能性を抱えながら、里子との関係を続ける。

二人の関係には、愛情だけでは説明できない孤独や不安、欲望が入り交じっている。

終戦が近づき、市毛の妻子が戻る現実が迫る

物語の終盤では、日本の敗戦が現実味を帯びてくる。

空襲への恐怖が続いていた日々に、ようやく戦争が終わるという見通しが生まれる。

しかし、里子にとって戦争の終結は、すべてが解決することを意味しない。

市毛には妻子がいる。

戦争が終われば、疎開していた妻子が戻ってくる可能性が高い。そうなれば、里子と市毛の関係は今まで通りには続けられない。

終盤、市毛は里子に会い、二人は雨のなかで口づけを交わす。

里子は市毛の妻が戻ってくることを理解しながらも、彼への気持ちを簡単には手放せない。

最後の「私の戦争がこれから始まる」という意味

本作の結末で最も重要なのは、戦争が終わろうとしているにもかかわらず、里子の個人的な戦いは終わらないという点だ。

それまでの里子にとって、戦争は空襲や食料不足、死の恐怖という形で目の前に存在していた。

しかし、終戦が近づくことで、別の問題が浮かび上がる。

市毛との関係をどうするのか。妻子が戻った後、自分はどう生きるのか。自分の欲望や感情をどこまで貫けるのか。

戦争という大きな出来事が終わっても、人間の感情や人間関係の問題は残り続ける。

この結末は、里子が新しい人生の局面に踏み出すことを意味している。

同時に、妻子ある男性との関係を選んだ女性が、戦後の社会でどのような立場に置かれるのかという厳しい現実も暗示している。

本作は、戦争が終わればすべてが幸福になるという単純な結末を選んでいない。

むしろ、平和になった後にも続く個人の葛藤を描くことで、観客に強い余韻を残している。

【感想・評判】映画『この国の空』が評価される理由と賛否

2026年10月現在、映画レビューサイトでは一定数の鑑賞者による評価が蓄積されている。

Filmarksでは評価3.2、KINENOTEでは平均評点70.7点(370人)という掲載値が確認できる。

数字だけで作品の価値を判断することはできないが、評価の傾向からは、演技や映像表現を評価する意見と、物語のテンポや戦争描写に物足りなさを感じる意見の両方が見られる。

評価されているポイント

1. 二階堂ふみの繊細な演技

本作で特に注目されるのが、二階堂ふみの演技だ。

里子の慎ましさと内面の変化を、台詞だけではなく表情や動作によって表現している。

若い女性が徐々に自分の欲望を自覚していく過程が、作品の中心的な見どころとなっている。

2. 長谷川博己の大人の男性としての存在感

市毛は、単純な善人でも悪人でもない。

妻子を持ちながら里子に惹かれ、自分自身も戦時下の孤独を抱えている。

長谷川博己の抑制された演技は、この人物の複雑さを表現している。

3. 昭和の生活や言葉遣いを再現した映像

衣装、建物、会話、生活道具など、時代を感じさせる要素も見どころだ。

派手な戦闘シーンよりも、人物が生活する空間や人間関係に重点を置いている。

批判的な感想が出る理由

一方で、戦争映画として鑑賞した人からは、空襲の悲惨さや戦争の恐怖をもっと直接的に描いてほしかったという意見もある。

本作は戦争の歴史を網羅する作品ではなく、戦時下の男女の心理を中心に据えた映画だからだ。

また、恋愛関係の描写が中心になるため、物語の展開がゆっくりしていると感じる人もいる。

終盤の表現についても、映像で余韻を残してほしかったという評価と、作品のテーマを明確に伝えているという評価に分かれる。

どんな人におすすめできる作品か

おすすめできる人

- 二階堂ふみや長谷川博己の演技をじっくり楽しみたい人
- 戦争と庶民の日常を描いた日本映画に興味がある人
- 昭和の生活文化や女性の生き方に関心がある人
- 高井有一の原作小説を読んでみたい人
- 恋愛を通じて人間の欲望や孤独を描く作品が好きな人

好みが分かれる人

- 戦場の戦闘や軍事作戦を中心にした戦争映画を期待する人
- 明確な善悪や分かりやすい恋愛の結末を求める人
- 展開の速いエンターテインメント作品を好む人

本作は、戦争の悲惨さを説明する映画というより、戦争のなかでも人間が恋をし、欲望を抱き、生きようとする姿を描いた映画として鑑賞すると理解しやすい。

【よくある質問】映画『この国の空』に関するFAQ

Q1:映画『この国の空』は実話ですか?

A1:高井有一による同名小説を原作としたフィクション作品です。ただし、1945年の東京・杉並区の空襲や食料不足など、物語の背景となる歴史的状況は実際の出来事に基づいています。

Q2:二階堂ふみと長谷川博己は何の役ですか?

A2:二階堂ふみは19歳の主人公・田口里子、長谷川博己は妻子を疎開させた38歳の銀行支店長・市毛を演じています。二人は隣人同士で、戦時下に親密な関係になっていきます。

Q3:原作小説『この国の空』は文学賞を受賞していますか?

A3:はい。高井有一の小説は1983年に刊行され、1984年に第20回谷崎潤一郎賞を受賞しています。

Q4:映画の結末で里子と市毛は結ばれますか?

A4:二人は身体的な関係を持ちますが、終戦によって市毛の妻子が戻ってくる現実が迫ります。物語は二人の幸福な結婚を描くのではなく、里子の新たな葛藤を予感させる形で終わります。

Q5:荒井晴彦監督はどのような作品を手がけていますか?

A5:『ヴァイブレータ』『共喰い』などの脚本で知られています。『この国の空』では監督と脚本を担当し、男女の心理や身体的な関係を繊細に描いています。

【プロの結論】『この国の空』が描いたのは戦争の終わりではなく、その先を生きる女性の人生

映画『この国の空』の魅力は、1945年という歴史的な時代を背景にしながら、戦争そのものだけでなく、一人の女性の人生に焦点を当てたことにある。

二階堂ふみが演じた里子は、戦争によって将来を奪われかけた19歳の女性だ。長谷川博己が演じる市毛との関係は、純粋な恋愛とも、単なる不倫とも言い切れない。

そこには、死への恐怖、孤独、女性としての欲望、そして生きていることを実感したいという切実な思いがある。

荒井晴彦監督が戦場ではなく日常を描いたことによって、戦争は遠い歴史上の出来事ではなく、食事や結婚、家族、隣人との関係を変えてしまう現実として映し出されている。

また、原作小説が谷崎潤一郎賞を受賞した文学作品であることも、本作を理解するうえで重要だ。映画だけでは捉えきれない人物の心理や時代の空気を、原作を読むことでさらに深く理解できる。

2026年に本作を鑑賞する際の要点は、戦争が終わることと、人間の苦しみが終わることは同じではないという視点だ。

空襲が終わっても、里子の人生は続く。戦争が終わっても、女性の選択や欲望をめぐる問題は残る。

『この国の空』というタイトルが示しているのは、1945年の空だけではない。その空の下で生きた人々の人生そのものなのだ。

主な事実確認資料:ハピネットファントムスタジオ作品情報、新潮社の高井有一著者・書籍情報、シネマトゥデイの出演者インタビュー、映画.comの監督インタビュー、杉並区公式情報サイトの戦後80年資料、Filmarks・KINENOTEの作品評価。

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大前 春陽
デジタルマーケター 大前 春陽
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アニメと漫画の制作発表を担当。制作会社・出版社の公式告知と原作者コメントを確認してから記事化します。

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