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【2026年最新】鍬原拓也の現在の仕事はソフトバンク一軍担当広報

五十木 望 五十木 望 • 更新: • 公開: • 読了約 18 分
目次

元プロ野球選手から球団スタッフへ

鍬原拓也の現在の肩書は、福岡ソフトバンクホークスの広報(1軍担当)だ。

この転身は突然決まったものではない。2024年シーズン終了後に現役引退を決めた際、ソフトバンクから球団スタッフとして働く道を提示されたことがきっかけだった。

2024年12月27日、ソフトバンクは公式サイトで新入団スタッフを発表。鍬原の名前も広報(1軍担当)として掲載されている。2026年10月22日付の東スポWEBのインタビューでも、一軍担当広報として紹介されており、現在も球団を支える立場にある。

一軍担当広報はどんな仕事をしている?

広報の仕事は、単に選手の写真を撮ったり、報道陣に情報を渡したりするだけではない。

鍬原が2025年4月に受けた鷹フルのインタビューでは、主な仕事として次のような業務が紹介されている。

- 選手と報道陣の取材スケジュール調整
- 練習や試合の状況に合わせた取材対応
- 選手への取材依頼やコミュニケーション
- メディアに掲載された記事や映像のチェック
- 選手の魅力をより多くのファンに届けるための情報発信

特に難しいのが、選手のコンディションと取材機会のバランスだ。

投手と野手では生活リズムが異なり、ナイター開催日などは取材時間の確保も簡単ではない。選手の状態によっては、あえて取材を入れない判断も必要になるという。

選手時代の経験が広報の仕事に生きている

興味深いのは、鍬原自身が選手時代には取材を苦手としていたことだ。

鷹フルのインタビューでは、自分の現役時代を振り返り、広報を困らせる選手だったと笑っている。

ところが、裏方に転身すると選手側の気持ちが分かるようになった。報道陣には撮影したい映像や聞きたい話があり、選手には練習や休養を優先したい事情がある。

その双方の立場を理解し、中立的な立場で調整することを意識している。

この経験は、一般企業から広報職に転職した人にはない、元プロ野球選手ならではの強みだ。選手の心理やチーム内の空気を理解したうえで仕事ができる点は、大きな武器になっている。

「わくわく鍬カメラ」で選手の素顔も発信

2026年の東スポWEBのインタビューでは、鍬原が自ら撮影する「わくわく鍬カメラ」についても紹介された。

これは選手のプレーだけでは伝わらない素顔や魅力を届ける活動だ。

かつては自分自身が注目される立場だったが、現在は選手をより魅力的に見せる側に回った。

鍬原はその変化について、次のように語っている。

今はどれだけ選手をよく周りに見せるか

現役時代に注目される喜びと、結果が出ないときの苦しさを経験しているからこそ、選手を支える仕事に説得力が生まれている。

【プロフィール】鍬原拓也は北陸高校・中央大学出身のドラフト1位投手

鍬原拓也


鍬原拓也(くわはら・たくや)

1996年3月26日生まれ・奈良県出身
右投右打・投手
北陸高校 → 中央大学 → 読売ジャイアンツ → 福岡ソフトバンクホークス

鍬原拓也は奈良県出身。1996年3月26日生まれで、2026年10月現在は30歳だ。

高校は福井県の北陸高校、大学は中央大学法学部に進学した。大学時代から力強い直球とシンカーを武器に活躍し、最速152キロを記録した右腕として注目を集めた。

2017年ドラフト1位で巨人に入団

2017年10月26日に開催されたプロ野球ドラフト会議で、鍬原は読売ジャイアンツから1位指名を受けた。

ただし、最初から巨人の1位指名が確定していたわけではない。

巨人は最初の指名で清宮幸太郎、続いて村上宗隆を指名したものの、いずれも抽選で交渉権を獲得できなかった。その後の1位指名で鍬原を選んだ。

いわゆる「外れ外れ1位」での入団だった。

大学時代に評価されたのは、最速152キロのストレートだけではない。独特の軌道を持つシンカーも特徴で、大学野球屈指の奪三振能力を持つ投手として期待された。

阿部慎之助への憧れが野球人生の出発点

鍬原にとって、阿部慎之助は単なるプロ野球の先輩ではない。

2026年のインタビューによると、小学1年生のときにテレビで阿部のプレーを見たことが、野球に興味を持つきっかけになった。

加えて、阿部の母校である中央大学に進学。憧れの選手と同じ大学で学び、最終的には同じ巨人のユニホームを着ることになった。

ドラフト指名時にも、阿部への憧れを語っていたことが当時の日刊スポーツの報道に残っている。

【巨人時代の成績】ドラフト1位から49試合登板までの歩み

鍬原の巨人時代は、期待と挫折が交互に訪れた6年間だった。

2018年にはプロ初勝利を挙げたものの、一軍定着には苦戦。故障による育成契約を経験しながら、再び支配下登録を勝ち取った。

その努力が結果として表れたのが2022年だ。

年度別の一軍成績

日本野球機構(NPB)の公式記録による巨人時代の年度別成績は以下のとおり。

年度 登板 勝敗 ホールド 防御率 2018年 6 1勝2敗 0 6.83 2019年 15 0勝1敗 2 4.74 2020年 5 1勝0敗 0 6.43 2021年 0 ― 0 ― 2022年 49 3勝2敗 13 5.16 2023年 5 0勝0敗 1 9.00 通算 80 5勝5敗 16 5.80

出典:日本野球機構(NPB)個人年度別成績。2021年は一軍登板なし。

最も輝いたのは2022年シーズン



49試合


自己最多登板


13


ホールド


3勝


シーズン勝利数

2022年、鍬原は中継ぎとして49試合に登板。13ホールドを記録し、ブルペンの一角を担った。

防御率は5.16であり、数字だけを見れば圧倒的な好成績ではない。それでも、育成契約から再び支配下登録を勝ち取り、一軍で年間を通して登板機会を得たことは大きな成果だった。

2020年の右肘手術、2021年の一軍登板なしという状況から考えれば、2022年は鍬原にとってプロ野球人生の重要な到達点だった。

【戦力外通告の経緯】右肘骨折・手術・育成契約を繰り返した理由

鍬原のプロ野球人生を語るうえで避けられないのが、右肘の故障と複数回の育成契約だ。

ドラフト1位という期待を背負いながら、思うように投げられない時期が続いた。

2020年8月:右肘の肘頭骨折と手術

2020年8月12日、鍬原はイースタン・リーグの日本ハム戦で右肘に違和感を訴えて降板した。

同19日、巨人は右肘の肘頭骨折と診断されたことを発表。鍬原は手術を受け、リハビリを余儀なくされた。

当時は投球フォームの変更にも取り組んでいた時期で、故障は大きな痛手となった。

同年オフには自由契約となり、育成選手として再契約することになった。

2021年:育成から支配下登録へ復帰

手術後のリハビリを続けた鍬原は、2021年8月に支配下登録へ復帰した。

この復帰の過程では、阿部慎之助からの助言もあった。投球フォームを元の形に近づけたいという相談に対し、自分の野球人生だから悔いのないように取り組めばいいという趣旨の言葉をもらったという。

しかし、2021年シーズンは一軍登板を果たせず、オフには再び育成契約となった。

それでも鍬原は諦めなかった。2022年3月に再び支配下登録を勝ち取り、同年の49試合登板につなげた。

2023年10月:巨人から戦力外通告

2023年は一軍で5試合の登板にとどまり、防御率9.00という成績だった。

6月8日に出場選手登録を抹消されて以降、一軍で登板する機会はなかった。

10月28日、巨人は鍬原と翌シーズンの契約を結ばないことを発表。これによって6年間在籍した巨人を退団することになった。

ただし、鍬原はこの時点で現役引退を選んだわけではない。2023年11月28日、福岡ソフトバンクホークスが育成選手として獲得することを発表し、新天地での再出発が決まった。

2024年10月:ソフトバンクでも戦力外通告

ソフトバンクで迎えた2024年シーズン、鍬原はウエスタン・リーグで35試合に登板した。



35試合


ファーム登板


5勝2敗


ファーム勝敗


2.55


ファーム防御率

数字だけを見ると一定の結果を残していたが、一軍昇格には至らなかった。

2024年10月28日、ソフトバンクは鍬原に来季の育成選手契約を結ばないことを通告した。

このとき本人は、まだ現役続行を希望していた。トライアウトには参加しない方向で、社会人野球なども選択肢に考えていたという。

2024年12月5日:現役引退を表明

戦力外通告後、鍬原は他球団でのプレーを模索した。しかし、NPB球団からオファーは届かなかった。

12月5日、自身のXで現役引退を表明。巨人で6年間、ソフトバンクで1年間、合計7年間のプロ野球生活に幕を下ろした。

引退発表では、これまで支えてくれた関係者やファンへの感謝を伝え、今後も野球に関わる仕事を続ける意向を示した。

鍬原拓也の引退理由は何だったのか?

引退理由を整理すると、大きく3つの要素がある。

1. 度重なる故障

右肘の骨折と手術を経験したほか、2026年の東スポWEBのインタビューでは、持病の腰痛が悪化したことも引退の背景として語られている。

2. 一軍での登板機会を得られなかったこと

2024年はファームで35試合に登板したものの、一軍昇格には至らなかった。支配下登録への復帰という目標も実現しなかった。

3. NPB球団からのオファーがなかったこと

2024年12月の日刊スポーツの報道では、他球団からのオファーがなく、現役続行を断念したと伝えられている。

つまり、引退は戦力外通告を受けた瞬間に決めたものではない。現役を続ける可能性を探りながら、身体の状態や今後の選手生活を考えたうえでの決断だった。

【阿部慎之助との関係】憧れの先輩から受けた言葉と支え


中央大学出身。鍬原が少年時代から憧れていた野球人。

鍬原と阿部慎之助の関係は、大学の先輩と後輩というだけではない。

鍬原は少年時代から阿部に憧れて野球を始め、中央大学へ進学した。プロ入り後も、阿部は投球フォームや野球への向き合い方について相談できる存在だった。

右肘の故障後、フォーム変更を後押し

鍬原は巨人入団後、投球フォームを上手投げからサイドスローへ変更した時期があった。

しかし、フォーム変更によって自分の投球を見失う苦しさも経験する。

右肘の故障から復帰する過程で、再び腕の位置を上げた投球に戻したいと阿部に相談。阿部からは、自分の野球人生だから好きなようにやればいいという趣旨の言葉をかけられた。

この助言は、周囲の期待だけにとらわれず、自分の納得できる投球を追求するための後押しになった。

戦力外通告後も現役続行を励ました存在

2023年に巨人から戦力外通告を受けた後も、阿部は鍬原の現役続行を応援していたと2026年のインタビューで紹介されている。

ドラフト1位として入団した選手が、何度も育成契約を経験し、再び一軍を目指す。その苦労を知る阿部の言葉は、鍬原にとって大きな支えだった。

2026年10月のインタビューでも、鍬原は阿部への感謝と敬意を語っている。

この関係から見えてくるのは、阿部が単に憧れの存在だっただけでなく、鍬原が苦しい時期に自分の野球人生を考えるための相談相手でもあったということだ。

【前田悠伍への助言】引退後の鍬原拓也の評判と指導者への道


2023年ドラフト1位。2026年に飛躍した若手左腕。

鍬原の引退後の活動で注目したいのが、ソフトバンクの若手投手・前田悠伍との関係だ。

前田は2023年ドラフト1位で入団した左腕。鍬原と同じくドラフト1位でプロ入りした選手であり、プロの世界で注目を集める立場にある。

前田悠伍に伝えたのは技術よりも取材対応

2026年10月22日付の東スポWEBのインタビューによると、鍬原は前田に対して、取材対応や言葉遣いについて助言してきた。

その背景には、自分自身がドラフト1位として取材を受け、周囲の期待や批判を経験してきたことがある。

プロ野球選手は、グラウンドで結果を出すだけでなく、インタビューやメディア対応を通じてファンに自分を知ってもらう機会も多い。

鍬原は、前田に自分と同じような苦労をしてほしくないという思いから、若いうちに知っておくべきことを伝えてきた。

当初は助言に対して言い返すこともあったというが、前田自身が努力を重ね、次第に成長していった。

前田悠伍の2026年成績は12勝1敗、防御率2.10


前田悠伍・2026年シーズン成績




12勝1敗


勝敗


2.10


防御率


19試合


登板数


111.2回


投球回


出典:NPB公式2026年度個人成績。

前田は2026年に大きく飛躍し、12勝1敗、防御率2.10という好成績を残した。

鍬原はインタビューで、前田が7〜8勝ほどするのではないかと予想していたものの、それを上回る活躍を見せたことを喜んでいた。

そして、前田について「もう僕から言うことないっすよ」と語っている。

かつて自分が経験したドラフト1位の重圧を、今度は後輩が背負っている。選手から広報へ立場は変わったが、次の世代を支える役割は確実に広がっている。

現役引退後の評判は?選手とメディアをつなぐ存在に

鍬原の引退後の評判を考えるうえで参考になるのが、2025年4月の鷹フルのインタビューだ。

同記事では、鍬原が選手とのコミュニケーションを大切にし、報道陣との関係づくりにも積極的に取り組んでいる様子が紹介されている。

特に注目したいのは、選手の気持ちを尊重しながら、メディア側の要望にも応えようとする姿勢だ。

広報という仕事では、どちらか一方の都合だけを優先すると関係がうまくいかなくなる。選手の事情を理解しつつ、取材機会を調整するバランス感覚が求められる。

鍬原は、現役時代に取材を受ける側だった経験を生かし、今では取材を成立させる側に回っている。

また、将来は指導者を目指したいという考えも、2024年のスポーツ報知のインタビューで語っていた。広報としてチームを外側から見る経験は、その目標にもつながっている。

【よくある質問】鍬原拓也の現在に関するFAQ

Q1:鍬原拓也は2026年現在、何をしている?

A1:福岡ソフトバンクホークスの一軍担当広報として働いている。選手と報道陣の橋渡し、取材スケジュールの調整、選手の魅力を伝える情報発信などが主な仕事だ。

Q2:鍬原拓也が引退した理由は何?

A2:度重なる故障や腰痛の悪化、一軍での登板機会の減少が背景にある。2024年にソフトバンクから戦力外通告を受けた後、NPB球団からオファーがなく、現役引退を決断した。

Q3:鍬原拓也は巨人時代に何勝した?

A3:巨人時代の一軍通算成績は5勝5敗、16ホールド、防御率5.80。通算80試合に登板し、2022年には自己最多の49試合に登板した。

Q4:鍬原拓也と阿部慎之助の関係は?

A4:中央大学の先輩・後輩であり、鍬原が少年時代から憧れていた存在でもある。巨人時代には投球フォームや現役続行について助言を受けていた。

Q5:鍬原拓也は前田悠伍に何を教えている?

A5:主に取材対応や言葉遣いなど、プロ野球選手としてメディアと接する際の心構えを伝えている。自身のドラフト1位としての経験を後輩に生かしている。

Q6:鍬原拓也は現在も野球選手として登録されている?

A6:現役は2024年12月に引退している。現在は選手ではなく、ソフトバンクの球団スタッフとして野球に携わっている。

鍬原拓也のプロ野球人生は、決して順風満帆ではなかった。

2017年のドラフト1位で巨人に入団し、プロ初勝利を挙げた一方、右肘の骨折と手術、2度の育成契約、再度の支配下登録、そして2023年の戦力外通告を経験した。

ソフトバンクに移籍してからも現役続行を目指したが、2024年に4度目の戦力外通告を受け、最終的に引退を決断した。

しかし、野球人生はそこで終わらなかった。

2024年12月から球団広報として新しいキャリアを歩み始め、2026年には一軍担当広報として前田悠伍ら若手選手を支えている。

鍬原の歩みから分かるのは、プロ野球選手としての成功だけが、野球界で活躍する唯一の道ではないということだ。

ドラフト1位の重圧、故障による挫折、育成選手としての再出発、そして引退。こうした経験を持つ鍬原だからこそ、選手の気持ちを理解し、メディアとの間を取り持つ仕事に生かせるものがある。

現役時代は自分がマウンドで注目される存在だった鍬原拓也。2026年現在は、選手たちが輝く舞台を裏側から支える存在へと変わっている。

将来の指導者という目標も含め、広報として積み重ねる経験が今後どのような形で実を結ぶのか、引き続き注目したい。

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コンテンツディレクター 五十木 望
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アイドルとライブ情報を担当。公式サイトの告知、リリース、本人の発信を照合してから記事を組み立てます。

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